しっく。

体調が芳しくない。
気管支?! 心臓?! 肺?! かれこれ7、8年おかしい。
何故、部位が特定できないかというと、あれこれ検査をしても
納得の行く結果が出ないからだ。
心音が時と場合を選ばずにパタパタする。というと心臓か・・・
息苦しく呼吸がしにくい。そうすると肺か気管支か・・・
レントゲンをとってみても、ホルダー心電図を一日中つけてみても
治療や手術にいたる結果ではなかった。
ということは、改善されないということだ。
波はあれど、治ることはない。不定期にやって来ては
また、どこかへ帰って行く。
激痛ではないし、症状がどんどん進行するわけではない。
現にこうして生きているし。
まぁ・・・持病・・・じゃないか・・・診断されたわけではないから。
原因をとことん突き止め、治療する選択肢もあると思う。
でも、データや目に見えない場合、
かなりの確率で心意性のものの場合が多い。
いわゆるストレスだ。ストレス・・・かぁ。
ということで結果、だましだまし、ぼちぼち付き合って行くしか
ないのかと腹をくくり始めている。
そのことを強く考え過ぎるのも
ストレスならばなおのこと悪循環だし。
適当ではなく適度にと心掛けている。
今、発見されている病気は約3万種あると聞いたことがある。
そのうち、治療法・治療薬がある病気は約5000なんだと。
治療法や薬がないのは、困るには困るが、
なーんだ、そんなにあるのか。
ほとんどじゃん。大多数の人がみんな苦しんでいるのか。
じゃ・・・しょうがないか・・・と。少し楽になったと同時に
妙に納得した記憶がある。
検査をして、病気が特定できて、出来うる治療をするのは
当たり前だが、そうでない場合も多々あるのだ。
そうはいっても、勝手な自己診断・判断はとっても危険なので、
未知の病・奇病・難病と断定せずに病院に行って
とりあえず、検査して、診断を受けてることをお勧めしたい。
病気が発見・特定できただけでもめっけ物で、
治療できること自体、すごいことなのだと思うもの。


四苦八苦の「四苦」は「病」「老」「死」そして、「生」のことだ。
病気や老いることは苦しい。死ももちろん。
しかし「生きること」も辛く苦しいことだと知った学生時代。
ある意味、衝撃だったなあ。でも、なんだかとっても楽になった。
それまで、「生」は陽で「死」は陰。正と負、肯と否。
両極端にあるものとそう思っていたもんだから。
「生きること」は老いることや病や死と同じように苦しいことだと
受け入れた時から、泣かなきゃやってられない時や
いかんせん、やりきれないことや
納得いかない不条理なことに出くわしても、なんとかやってこれた。
そう、それは、「生きること」は決して楽しいことではなく、
辛く苦しいことだと知っていたからだと思う。
でも、苦しくて、辛いこと、それだけだったらどうだろう。
う・・・ん。無理だな。四苦は大前提だけど、
笑い転げる日、感動で眠れない夜、求められ満たされた瞬間がある。
だから、生きていけるんだろうな。
苦しくても辛くて大丈夫なのだと
思える瞬間がたくさんあることを願う。
生きてくことは辛いけど、満更じゃーない、
そう思える毎日がいい。
毎日じゃなくても、たまにでも、
いや、一度でも強くそう思う、そんな日があれば
きっと生きていけるんだろうな。