見上ゲテゴラン。

atmy2005-05-16

今日は昨日と打って変わって、いい天気だった。
気持ちいいなぁ。極度に乾燥してないし、
昨日の雨で適度に湿気てるし。
何しろ空の青さ加減がいいね。
ぼーっと一日中、日の落ちるその瞬間まで、
青からオレンジにだんだん変わる、
頭上の空を眺めていたいもんだ。
生きてく中で、そんな日があってもいいと思うし、
あるべきとさえ思う。
今日は何をしてたの?
空を夕日に染まるまで、ただ見てました。
刻々と変わる雲の形を、流れていく雲の行方を
ずっと眺めていました。なんて。
できるならその空に文明的ニオイがしない方がいいな。
電線、飛行機、高いビル・・・
残念ながら、アップした写真の通り、
見上げて電線がない空は、作者のいるところでは皆無に近い。
時間帯にもよるが、飛行機の騒音で話声が、
聞こえなくなることもある。
圧迫感のある高いビル群。
なんでそこまで高いかな・・・って思うほど。
いやね、文明否定したり、
自給自足生活を推進する気はないけども。
物質的、環境的にどっぷり、
このなに不自由ない生活につかっちゃってると、
たまに恐ろしくなったり、立ち止まりたくなったりするもんでね。
それにふと感じるのは、
「便利」で「高率的」なのって切りないなぁーって。
より早くを求めて、コンパクトで軽いものを好むんもんでね。
でもさ、ホントの意味で無くなって、
生きて行けないものって結構、少ないと思う。
「生きる」事だけ考えるなら、かなりシンプルだよ。
生活の中の身近な文明の力は、
携帯電話、パソコン、テレビ、洗濯機、冷蔵庫、
飛行機、車、電車、もうすごい数。
まぁ、ありえないけども・・・
全部一斉に消えて無くなっても、
自分の家のだけじゃなくて、この世から無くなっても、
たぶん、心臓は止まらないよ。
そりゃー最初は戸惑うだろうし、混乱するだろうけど
ちゃんと脈うつ鼓動と、立ってられる自分に気づくはずだもの。
それに、不便だなぁ・・・・面倒だなぁ・・・しんどいなぁ・・・
って思っても、きっと、徐々に慣れていくだろうと思う。
「あること」にもなれるけど、
同時に「ないこと」だってなれるもの。
そう思うと、「なれる」ってすばらしいね。
何だって、慣れないと、やってけないもんね?! 
いつまで経っても慣れないでいてごらんよ?!
辛いし、困るし、苦しいしよ。
ま、人間の防御能力の1つだと考えてもいいんじゃないかと。
順応する能力が備わってて、慣れてくると、
それで生きていけるようになるだもの。
どんなに辛い状況や過酷な環境でも、慣れるもんです、ある程度。
通常の精神状態の人は、本能レベルでみんな、車が来たらよけるし、
高いところは恐いし、刃物の扱いは慎重でしょ?!
それは、死にたくないって、生きたいって思うからでね。
当たり前っちゃ、当たり前だけど、
それと同じで生きたいと思うから
死にたくないって思うから、順応できるんだと思うんだわさ。
そんなに、生死に関わることでなくても、
日常的に慣れることで、
自分を助けて、楽にしていることってたくさんあるものね。
なれることは生きるための能力、本能の一部。
順応する能力は生きるために備わっているんだと思う。
でもさ、正直いい面ばっかりじゃないだな、これが。
「慣れる」のは苦しいのにも楽しいのにも平等だからさ。
それに、そこには同じ本能の「怠惰で欲深い」部分が
同居しているからたちが悪い。
ナイスな環境、素敵な状況だって 繰り返したり、
長い間同じ状態だったりすると、
なれるんだね。辛い状況だけじゃなくて、 同じ様にね。
だから、だんだんと当たり前になって、
便利だなぁなんて、感じもしなくなって。
きれいだな、幸せだな、気持ちいいな、
ありがたいななどなど、思わなくなって。
怠惰、丸出しになっちまうんです。悲しいかな。
怠るわけですよ、怠っちゃいけないことを。
だって、当たり前になって、なれちゃうからね。
また、そこにかひょっこり顔を出す、「欲深さ」。
挙げ句の果てには、
「もっと」を求めて、現状で満たされなくなる。
向上心と欲深さは親戚みたいなもんでね。
今までちゃんと満足していたものが、ある日かもしれないし、
徐々にかもしれないけれど、
「違うもの」「別のもの」を求めて、
よりよいものを手に入れたくなる。
まぁ、本能だもの、しゃーない部分もあるだろうよ。
より便利に早く、美しく幸せにと本能のおもむくままに
大々的に「欲深さ」をみんなが全面に前に出して来る。
そうしたって、誰だって「よりよく」なることを
否定したりしないし、大っぴらに、
それが正しいことだと、肯定すべきことだと
開き直っても、認められるからね。
もっと早くて、軽くなって、コンパクトになって、
簡単になって、便利になって・・・
「よりよく」なるために。
でもふと・・・とこまでいくんだろうって。
いつ満たされるんだろう。これでいいのかな。
「よりよく」なることが本当にすべて「明・正・肯・良」
なのかと思ってしまうんです。
それに、必ずしも「よりよく」なったとしても
待ち望んだ結果がまっているとも限らないんじゃないかと。
今の日本は便利だし、快適だと・・・作者は思うけど。
まぁ、人によっちゃ、まだまだ、
全然って思う人もいるだろうしね。
すべての「よりよい」ことの追求が、
一概に幸せでいいことだって胸をはって言えるか
っていったら・・・そうじゃない気もしているもの。
パソコン、ないと正直、困る。
でもね、ちょっとでも遅いとイライラするし、
調子悪いとハラハラ不安になるし。
乗り物が定刻に来なかったらえぇーー?!って思うし。
急用のときに携帯電話がつながらなくて、
後から、かけた相手が携帯を家に忘れて
持ってなかったなんて言うのを聞くと
「携帯」電話なんだから常に携帯しといてよと
そこにうっすら束縛が生まれたりして。
イライラ、ハラハラ、何も生まない低レベルな負の感情。
そんな毎日は嫌だなぁ・・・と単純に思う。
何かに追われて、急かされて、立ち止まれなくて・・・
快適に「よりよい」暮らしの代償がそうさせるなら、
それは、ホントに「よりよい暮らし」か・・・
かわりませんもん。
かといって、この生活からドロップアウトすることは
作者にゃーできません。
半身浴なんて、もんじゃなくどっぷり肩まで
つかっちゃってるからさ。無理だろうね。
だから、せめて空を見上げるんです。
下向いてばっかりいると、ろくなことないからね。
たまには、いいじゃないかと、立ち止まって
月なんかじっくり見たり。
手をとめて、窓を開けてみるもよし。
各駅停車に乗ってみたり、
いつもより手前で降りて歩いてみたりね。
そんなことでも、些細なことでも、ちょっとした寄り道でも
とげとげした自分のお手軽なリセットに、
かなり効果アリだと思います。
おためしあれ。